骨董市や器のお店で目にする骨董の器が気になるという方へ。骨董は見て楽しむだけでなく、使ってこそ良さが生きるんだそうです。

祖父の蕎麦猪口

祖父が使っていた
祖父が使っていた

 底に祖父の名前の一文字をとった「文」という文字。仮に祖父が使い始めたものだと考えると、生きていれば100歳を迎えていた祖父が若い頃、おそらく50年~80年くらい前に使っていた蕎麦猪口です。

 この蕎麦猪口が、時を超えて今わが家にあります。

 もう10年以上前、福井県の母方の祖母の葬儀がありました。葬儀の後親戚一同が昔話に花を咲かせる中、母と2人でこっそり抜け出し、家の周囲を散歩しました。

 「何か面白いものがあるかもよ」という母に連れられて入った祖父母の家の倉庫で、農具やいらなくなった家財に紛れて、この蕎麦猪口を見つけたのです。

 当時少しだけ骨董に興味があった私はこれを手に取りじっくり眺めた後、「まぁ、たくさん出回っていたものだろうから価値云々ではないよね」と元に戻そうとしました。

 でも一度手にしたその蕎麦猪口は見れば見る程手に馴染み、底の「文」という文字も含めてじんわりと愛着が湧いてきます。そのうち手放すのが惜しくなった私はいくつもあった蕎麦猪口の中から5つを手に取り、祖父母の家に戻りました。

 「これ、欲しいんだ」という私に、叔父叔母は「そんなのいくらでも持って行きな。もう使わないから」とあっけなく言い、晴れてこの蕎麦猪口がわが家にやってきたのでした。

わが家に欠かせない器になった

 それ以来わが家では、煎茶もほうじ茶も、お茶といえばこの蕎麦猪口を使っています。

 実際使ってみると、蕎麦猪口……と言いつつお蕎麦を食べるには小さいし、お茶を飲むにも量が入らないのですが、気付けばこの蕎麦猪口を手にしています。

 一度湯呑みを整理した時も、きれいな柄の入ったものやサイズの調度いいもの、高かったもの等はすべて処分したのに、この祖父の蕎麦猪口だけは残りました。

すべてが「味になる」骨董の良さ

 骨董の良いところは、暮らしにも風景にもすぐに「馴染む」というところだと思います。

 それを「どこがどうだから」と言葉にするのはとても難しいのですが、例えて言うなら「全てが味になる」。

 新しいものが汚れたり傷がつけば、それは単なる汚れや傷。でも長く使われてきた骨董には、それらも全部受け止める力があります。だから祖父の「文」という文字も見る度いいなぁと思うし、茶渋や薄くなった柄も、全てが味になっていいなぁと思う。

 そしてこんなに小さな蕎麦猪口なのに、何を入れても様になるから安心できる。

 祖父母の家の倉庫で、「まぁたくさん出回っていたものだろうから」などと考えていた自分に何度後悔したかわかりません。もっとたくさんあったのに、もっとたくさんもらってくれば良かったと、今も見るたび祖父母の家の倉庫に取りに行きたい!と思う程です。

蕎麦猪口の我が家の使い方

 さて、そんな蕎麦猪口、我が家の使い方をいくつかご紹介します。

お茶にもぴったり
お茶にもぴったり

 まずは日々のお茶に。煎茶でも烏龍茶でも麦茶でもわが家ではこれです。来客にもこの湯呑みでお茶を出しますが、よく「これいいね。骨董? どこで買ったの?」と聞かれます。その度祖父母の倉庫の話を自慢げにする私です(笑)

 そして、ヨーグルトやアイスクリームに。木のスプーンがよく合います。

アイスクリームに
アイスクリームに

 フルーツに。鮮やかな色がよく映えます。

フルーツを入れてもよし
フルーツを入れてもよし

 甘酒もこれで飲みました。甘酒はたくさん飲めないので、このサイズがぴったりでした。

甘酒だってぴったり
甘酒だってぴったり

骨董は使ってこそ、良さがわかる

 一時期、骨董市によく行きました。

 素敵な蕎麦猪口はたくさんあるのですが、骨董ってどれも本当に高くて、特にお皿は手が出ません。そして、桐の箱に入っているような、見て楽しむ骨董はちょっと違うな、と思う。

 骨董って、使うからその良さがわかるものです。

 例えば神社の小さな骨董市で。例えば大きな骨董市の店員さんが使っているものの中に。例えばおじいちゃんやおばあちゃんの家の台所に。いや、もしかしたら実家にこっそりと。気軽に使えて、ものすごく味があって素敵な骨董が埋もれているかもしれません。

 もしそんな骨董を見つけたら、「なんか古くて、価値もなさそう」なんて言わずに是非使ってみて欲しいと思います。懐の深さに、きっとびっくりするはずです。

 そして、自分が今使っているものも、自分がおばあちゃんになった時にそんな味のあるものに育っていたらいいなと思う。

 だから大切に長く使えるものを。今の私のモノ選びの基準です。