子育てに「向き・不向き」はあるのか問題

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2017/10/17 00:00

2歳児子育て真っ最中の、あさひさん。Instagramで日々投稿するお子さんのための朝ごはん写真と、クスッと笑える文章が親しみやすくて大人気です。今回は、子育て中、多くの人が感じる「自分は子育てに向いてない気がする」問題についてです。

自分は子どもの可愛さがわからない人間なんじゃないか

 灰色で巨大なミミズクのような不思議な生きもの、猫形のバス、田舎に越してきた姉妹たち。きっと誰もが知っている、有名な日本のあのアニメ。そこに出てくる「とうもろこし」を「とうもころし」と言い間違える女の子……そう聞くだけで、ほとんどの方が、あの髪を二つに結った少女を思い出してくれるのではないでしょうか。

 おてんばで、ちょっぴりワガママで、愛らしい、5歳の女の子。テレビ放送やDVDなどで、一度は見たことがあるという方が、ほとんどではないかと思います。

 いきなりなんなんだ、この話は。そう思われると思います。わかります。でも、ちょっとだけ聞いて欲しいのです。これは小さい頃から私の中でくすぶってきた、くだらなくも切実な、悩みのプロローグなのです。

 そのキャラクターが、どう切実な悩みと関係があるのか。

 それは、その国民的な愛されキャラである女の子を、私が「可愛いと思えたことがない」ということが起因しています。こんな、いかにもリアルで健気な子どもを描いたキャラクターを可愛いと思えないような自分は、子どもの可愛さがわからない人間なんじゃないか。そんな感性のない自分は、「子育てに向いてない人間」なんじゃないか。そんなふうに思い至り、それをずっと漠然とした「将来の育児への不安」として抱えて生きるハメになったのです。

子どもを産み育てる自信が持てない

 そんなふうに言うと、なんだか相当に大げさなようですが、実際のところ昔から私にとって子どもは「どう接していいのかわからない」存在でした。正直に言って「決して嫌いではないけれど、可愛いとも特に思わない」タイプの人間でした。そんな自分が子どもを産んで育てるということに、どうしても自信を持てないまま大人になりました。ご縁があって結婚してからも、それは変わらず、気付けば5年が過ぎていました。年齢的なことも考えて、そろそろ子どもを…!と決心し、いざ妊娠してからも、楽しみやワクワクよりも、さまざまな不安や心配ばかりが廻って、夜眠れないことも多くありました。同じ妊婦さんで、しあわせで穏やかなオーラを放ち、編み物や刺繍なんかをしながらゆったりと出産の準備をしている女性を、素敵だなあ…と羨望の眼差しで見ていました。

 「ああ、こういう人が、きっと子育てに向いてるんだろうなぁ」と、ずっと思っていました。

自分は親失格なんじゃないのか

 「子育てに向いてない気がする」

 これは、なんだか変な表現にも思えますが、意外とよく耳にする言葉です。

 既婚・未婚、子育て中である・ないに関わらず、いろんな人が、そう自己判断しています。これは、子どもを持たない人が冷静に自分を客観視して言う場合もありますが、実際に子育て中の人が自虐的に、かつ切実に思い詰めて、そう口にすることもあるのです。

 どんなときに、そう感じてしまうのか。

 些細なことでイラッとしてしまったとき。

 公共の場所で騒ぐ我が子を静かにさせられないとき。

 耳をつんざく泣き声を、可愛いと思えなかったとき。

 世間では「子育ての常識」だと言われるようなことを知らなかったとき。

 我が子が泣いている理由がわからないとき――。

 それはそれはさまざまな瞬間に、自分を不甲斐なく感じては「こんな自分が親でいいのか。親失格なんじゃないのか。」と自問してしまうのです。

 そんなとき、「子育てにはやっぱり向き不向きがあって、自分には向いてないんじゃないか」そう考えて、できることなら全部放り出して逃げ出したくなるときがあります。

 この子が将来、苦労しないように、私がきちんと育てなければいけないのに――。

 そんな、しつけの責任に押しつぶされそうになりながら、自分自身をどんどん追い詰めて、がんじがらめになってしまうことは、本当に多いのです。

子どもはたくましく健気で、感動することばかり

 私は、子どもを産んでからまだたったの2年ほどですが、そのわずかな期間にも、自分の無力さや未熟さに何度も落ち込みました。自分の情けなさや不甲斐なさに何度も打ちひしがれました。

 幸いにも、ずっと懸念していた「子どもの可愛さがわからない人間なんじゃないか」という不安意識は、懸命に生きる我が子と接するうちに、みるみる薄れていきました。それなのに、自分の親としての在り方については、依然としてまったく自信が持てないまま。それは、今でも変わりません。

 それでも、子どもはちゃんと日に日に大きくなり、自分で学び取り、できることを増やしていきました。それは自分の想像をはるかに上回る逞しさと健気さで、感動することばかりでした。そのうち、「もしかしたら、子育てに向き・不向きがあるなんて思うこと自体が、すごくおこがましいことなのかも知れない」と思うようになりました。

子どもはもう、自分だけの船に乗り、漕ぎ出している

 それは、どんなに幼くてもこの世に生まれたときから、ひとりひとり自分だけの船に乗りこみ、その子自身のオールを持って、すでに人生の海を漕ぎだしているように見えたからです。親の存在は波のようにその船に大きく影響を与えるけれど、それだけでその船の針路のすべてを決められるわけではない。自分の力でたくましく育っていく子どもたちの航海を、一緒に船に乗り込むのではなく、波になってそっと運びながら、そばで見つめられるという幸運を得ただけなのかも知れない、そう思うようになりました。

 親子だからって、性格が似ていないことだって往々にしてあります。それならば、性格が「合わない」部分が出てきても、しょうがないことだと思います。だって、血を分けた親子といえど、まったく別の人間だから。だから、たとえ子育てに行き詰まったとしても、もっと言えば、もし「可愛く思えないときがある」という人がいたとしても、心の中で「この子のこういうとこ、合わないわ~」と、受け流していいときもあるんじゃないでしょうか。その逆に「この子のこういうとこ、素敵だわ~!」と、感心したり、尊敬したりも、いっぱいすればいいと思うのです。

 それくらい、我が子を離れて見てみてもいいと思うのです。自分の子どもだけど、別の人間だから。当たり前だけど、一生懸命に子どもと接していると、それを忘れてしまいそうになることがあるんです。でも、我が子だけど、自分とはまったく別の人間なんだ、ということを認められたら、随分と楽になれる気がします。

 どうせ子どももいずれ、「親のこういうところ、合わないわあ」なんて、勝手に思うようになる日が来るものなんじゃないでしょうか。

 そうして、遅かれ早かれ、いずれはそれぞれがはっきりと別の人生を生きていくことになります。

 いまは、こっそり寝顔を見つめ、手を伸ばせば髪を撫でられる。いまだけは、家族という集合体の中で暮らすことができる、長いようでほんのわずかな時間なのかも知れません。

ほんの少しずつでも、胸を張れる親になりたくて

 きつく叱ってごめんね。イライラしちゃってごめんね。仕事が忙しくてごめんね。

 十分なことをしてやれなくてごめんね。

 子どもの寝顔を見ながらそうやってつぶやくお母さん、お父さんたちが、今日もどこかにたくさんいて、みんなそんな気持ちをミルフィーユのように折り重ねて、ほんの少しずつでも、胸を張れる親になりたくて、もがいている。

 「向いてない」と思うのは、それだけたくさん悩んでいるから、考えているから、想っているからではないかと思いたい。

 子育てに正解はなく、どこにも答えは落ちていません。私のこの役に立たない文章の中にも、何にも書いてありません。みんなと同じやり方をすれば、みんながまっすぐ元気に育つわけではない。誰かがうまくやっているやり方を真似てみても、自分もうまくいくとは限らない。我が子にとって一番いい方法とは、自分が心穏やかでいられる子育てとは、向き合い方とは、一体どんなものだろう。自問自答して手探りするしかなく、明確な答えも出ぬまま今日もまた1日が過ぎていくのだとしても、ひたすら悩むよりほかはないのだと思います。

明日もまた悩みに悩んで、子どもも自分自身も、育ててみよう

 でも、そうやって子どもを想って心を砕き、日々「悩み続ける」ことこそが、ひょっとしたら「子育て」そのものなのかなと思うのです。

 もしも子育てに向き不向きがあるのだとしたら、「子育てに向いていないんじゃないか」と「悩む」時点で、すごく子育てに向いてるのかも知れません。――なんていうのは、どうでしょうか。この考えには無理があるでしょうか。そうかも知れません。そう思いたい、というただの願望かも知れません。でも、そうやって自分を励ましながら、明日もまた悩みに悩んで、育ててみようじゃありませんか。子どものことも、自分自身の心も。

 件のアニメに出てくる女の子を、可愛いとは思えなかった自分でも、今こうしてどうにかこうにか、子育てをしています。

 今、もしあのアニメを見直したら、あの女の子を「可愛い!」と思えるのか、久しぶりに確かめたくなってきました。

 でも、もしそう思えなくたってもう不安になんて思わずに、「やっぱりピンとこなかった」くらいに受け流して、悩みながらも幸運な気持ちで、これからも子どもの成長と向き合っていきたいと思います。