オシャレとは知恵だと語るやまぐちせいこさん。ファッションと自分らしさの関係を見つめ、自分なりのオシャレの楽しみ方を見出していったのだそうです。さて、やまぐちさんが見つけ出した答えとは?

「感覚より理論」派なのです

 「あなたにとってオシャレとは、何ですか?」

 という質問を、個人的に興味を持った方へ投げることがよくあります。人によって答えは全然バラバラ。その人なりの答えが返ってきますし、よく知っている知人・友人の「オシャレとは?」という答えにその人らしさを感じられます。

 私自身の回答としては「オシャレとは知恵です」と返しています。

 センスはなくても、流行など、服に関する情報誌は世の中に沢山有ります。

 自分が情報誌を見たときに「この服のコーデいいな……」と思った服をデータとして抜き出し分析する。色や形、パターン。自分が好きなモノの数を集めると、自分の「特にこれが好き!」という定番が見えてくるので、それに的を絞る。

 私にとってのオシャレとは感覚的に楽しむというより、最初に情報を集めて、分析し、自分なりに仮説を立てること。

 その仮説が立証されて「ほら、やっぱりこれ、良いよね!」というゴールまで手が届いて達成感を得ること。

 そこで多分「おお、楽しい」「してやったり!」と喜ぶのです。

 どちらかというと私にとっての「片付け」や「収納」は、それに近いものがあります。自分が立てた仮説を立証したい。そんな好奇心の追及を楽しく感じます。

 感覚的なところから……というよりは理論から入る。頭でっかちなところが「オシャレとは知恵です」と、答えてしまう私らしい感じがします。

自分なりの楽しい! を大切にしたい

 自分なりの考えですが、オシャレ=センスとなると、「じゃあ、センスのない人はオシャレできないってこと?」と思うと、もう何だか悲しいですよね。

 私自身、センスがある人ではないと自覚しています(笑)でも、オシャレはしたい。

 センス良く、服を着る。

 それって誰がセンスの良し悪しをジャッジしてるの?

 「それって他人軸じゃないかしら? オシャレを楽しむことは自分自身だし、自分が服を着て楽しい! って感じることが何よりもオシャレだし、オシャレを楽しむってことじゃないのかな?」

 私はそう考えました。

 なので感覚ではなく、理詰めから入る私のオシャレの楽しみ方も最終的に「自分が楽しい!」と感じられているのならば、正解だと自分の答えを出しました。

答えは千差万別です

白い靴:無印良品(廃番)/黒い靴:ABCマート/時計:チープカシオ/メガネ:JINS

 「楽しい!」と感じることは、とても私的な感情です。

 「オシャレとは?」という問いに興味を持って、周囲の人々に質問して回ると、

 「一度、キチンと整えた服の一部を崩す」

 「身の丈に合った、サイズ感の服を着る」

 「個性を消し、群衆に紛れるためのもの」

 「有りか無しか?それがオシャレです」

 「自分のこだわりを突き詰める」

 「武装、勝負服。それがオシャレ」

 「自分をブランディング(演出)する」

 「洒落という語源そのもの。冗談や遊び心」

 など、その人の人生観や社会との向き合い方が「あなたにとって、オシャレって何?」に反映されていました。とてもおもしろいです。

服が減ってからオシャレが楽しくなりました

 ミニマリストと呼ばれる人たちの服の数は10〜20着と少ない方が多く。一人一人きっと「オシャレとは?」という答えはミニマリストでもバラバラでしょう。

 どうも、服を着る。オシャレを楽しむという行為には「社会との向き合い方」と「その人らしさ」が入り混じるようです。

 私自身、服を減らしてからのほうが「オシャレが楽しい!」と感じられるようになりました。私の中で「社会との向き合い方」に答えが1つ出たからこそでしょう。

 お気に入りの服を制服のように着ても笑う人はいませんし、もし、笑う人がいてもその人の価値観。

 人は人。自分は自分。

 服選びとして、自分の価値観を信じられることが何よりの幸福に違いありません。

「何で?」が大切なのかもしれません

 もしかするとクローゼットにパンパンに詰まった服は、服ではなく色々な価値観が詰まっていて、「どれを選んでいいのか分からない」という状態なのかもしれません。

 少し自分軸で好き・ときめく・よく着る・着やすい……など服を一枚一枚手に取るときに「何で好き?」「何で着やすいって感じるの?」などの「何で?」の理由を考えてみると自分が見えてくるでしょう。

 あなたにとっての「オシャレとは?」何ですか?

コート:無印良品(廃番)/セーター:ユニクロ ケーブルクルーネックセーターSサイズ/パンツ:ambience tote(アンビエンストート) チノワイドタックパンツ