「これは戦争だ」。パリで体験した、ロックダウンのリアル

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2020/06/07 06:00

3月上旬の時点では「コロナなんて怖くないわ!」なんて言っていた、自由なフランス国民。突然のロックダウンに、意外にも素直に従った理由とは? パリで暮らすマダム愛さんが、フランスでの55日間をレポートしてくれました。

▼目次

 5月11日をもってロックダウン生活が緩和されたフランス。

 それから約1ヶ月が経とうとしている今、私が体験した外出禁止令中のパリでの生活を振り返って見ようと思います。

 まずは、フランスのロックダウン生活がどのように始まり、その後どんな流れだったのかをざっとおさらいさせていただきます(感染者数、死亡者数はフランス保健省調べ )。

2月末~3月上旬/一気に緊張状態に!

 世界がまだ、そこまでコロナウイルスについて真剣に考えておらず、中国だけで起きている問題と思っていた最中、イタリアで感染者が急上昇! フランスはちょうど学校のバカンス時期で多くの人が国境を越えて旅行をしていたため、一気にフランス政府は緊張状態に突入しました。

 それまでは中国から来た80代の人が1人亡くなっていただけだったのに、2月25日にオワーズ圏で突然60歳のフランス教師が亡くなり、翌日の26日、彼がコロナウイルスに感染していたことがわかり、政府を動かす原因に。なぜならその人は、渡航歴などもなく、感染経路が全くわからなかったのです。

 そのため政府は2月29日、オワーズ圏でクラスター発生と判断。オワーズ圏一部の地域で住民の集会や旅行を制限しました。

 ただ、まだその時はフランス国民にとっては対岸の火事という意識が強く、そこまでは実感がありませんでした。

 実際に3月1日時点でのフランスの感染者は100人。死者は3名。フランス国民6,700万人中100人の感染者がいたくらいでは、危機を感じられないのが普通かもしれません。

3月6日

 フィリップ首相はクラスター発生地域の学校を、3月9日から15日間閉鎖と発表。

3月9日

 イタリアで感染者が1万人に迫ったその日、イタリアでロックダウンが開始。その時フランスの感染者は1,126人。イタリアに比べるとそれほど多い数字ではなかったけれど、この時期既に毎日数百人単位で感染者が増加していたので、さすがにこれは大変な事になるかもしれないと、フランス国民が意識し始める。

 また、この時期グラン・テスト地域圏ミュルーズのとある宗教的集会でクラスターが発生したことが認識される。

3月12日

 マクロン大統領が国民に向けて演説。ここで16日からの学校閉鎖を宣言。高齢者や慢性病患者に対し自宅待機を求め、仕事はテレワークにするように推奨。感染を広げることを防ぐため、不用意な外出は控えるように訴える。

3月14日

 フィリップ首相は突然この日の19時に「国民に不可欠ではない商業施設の閉鎖」を発表。しかも開始はその発表の5時間後である15日の深夜0時ということで、一瞬でフランス国民を混乱させた。

3月16日

 マクロン大統領による2回目の演説。これは戦争だ!と宣言し、翌日17日の正午より15日間、外出禁止と発令。シュンゲン圏の辺境も30日間閉鎖を決定。

3月17日

3月17日、ロックダウン直前のパリ
3月17日、ロックダウン直前のパリ

 正午、ロックダウン開始。

ルイヴィトン前の通りもまったく人通りがありません
ルイヴィトン前の通りもまったく人通りがありません

3月27日

 フィリップ首相が、外出禁止期間をさらに2週間延長と発表。

4月7日

 それまで許されていた野外での運動を午前10時から午後7時まで禁止。

4月13日

 マクロン大統領による3度目の演説。外出禁止を5月11日まで延長することを宣言。それと同時に、5月11日からどの様に外出禁止を緩和して行く予定かを発表。

5月11日

 外出制限が緩和。ただし100km以上の移動は特別な許可がない限りは不可。10人以上の集まり禁止。レストランや映画館などは再開されず……など、まだまだ以前とは程遠い状況での生活をフランス国民は余儀なくされている。

 この日の感染者数: 139,063人、死亡者数:26,643人

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