愛があるから家事をするのでも、家事をするから愛があるのでもない―――。そんな文に目を引かれました。

「家族」をテーマとするエッセイ集『愛と家事』を読みました。母親の愛情が重たいという苦悩。一度目の結婚の失敗と挫折からの回復。母、結婚、家族……といった、個人的な話がつづられています。

 著者の太田さんは、家事について、こんな風に書いています。

一度目の結婚では愛をもって家事をしないといけなかった。それに疲れた。前の夫はわたしが「家事をするのが疲れた」と言うたびに機嫌が悪くなった。(中略)愛情なんか全然ないのに、愛情があるふりをして料理をすることに消耗した。(中略)わたしはもっと愛と家事を切り離したい。愛があるから家事をするのでも家事をするから愛があるのでもない。なのに「愛と家事」の呪縛は強烈で、油断すると愛と家事をはかりにかけている。わたしは今日も台所で、愛と家事の矛盾に格闘している。

 私自身は「家事と愛」をこんなふうにとらえたことはありませんでしたが、心にひっかかる部分があったということは、そうした認識が私の中に少なからずあるということなのでしょう。仕事で疲れた日などは、妖怪「ナンデワタシバッカリ……」が頭をもたげる日もあります。

 愛があるから家事をするのでも、家事をするから愛があるのでもない。

 著者の太田さんはそう言うけれども、「愛情弁当」「愛妻弁当」という言葉が示すように、世間では「家事で表す愛」への礼賛が、迷いなくあふれています。私もそうしたことにこれまで疑いを持っていませんでしたが、このエッセイを読み、「家事による奉仕」だけが愛を示すことにはならないのかもしれないな、と思わされました。

私は、夫を毎日手料理でもてなすなんてまっぴらだ。(中略)食事のことで家の中でだれかが抑圧されるよりも、食べたいものを楽しく食べて、家族との関係がいい方がいい。インスタントラーメンだって、できあいの総菜だって、堂々と食卓に上らせてやる。

 私は太田さんのようには割り切れず、夫や子どもにはできるだけ手作りの食事を食べてほしいと思っています。ただそのために無理をしてつらくなるほどにはやりたくないし、それで不満をためないようにしたい。嫌々作った一汁三菜より、気楽に作った一汁一菜でいいんでしょうね。

 家事ってなんだろう……と考えているうちに、それって仕事ってなんだろう、とか、人生ってなんだろうと考えるのと同じなんじゃないかと思えてきました。考えすぎても仕方ないし、人それぞれ違った考え方や、やり方があり、答えはなかなか見つからないもの。しかし、ときどき立ち止まって見つめ直すのも大切なことですよね。

 実は明日、結婚記念日なんです。

 家事は放棄して、おいしいものでも食べに行って、ゆっくり夫と話でもできたらいいんでしょうが、明日は子どもの少年サッカーがあり、それも市の大会の決勝なので、結局子ども中心のあわただしい一日になりそうです。

 「愛と家事」について悩むヒマもなく、山のような洗濯物と食事づくりに追われる一日。それもまた「愛と家事」にあふれた楽しい一日だったと、いつか振り返ったときに思えるのかもしれませんね。

『愛と家事』(創元社 本体価格1,000円+税)

『愛と家事』(創元社 本体価格1,000円+税)

Writer PROFILE

  • 本田麻湖(みんなの暮らし日記ONLINE)さん

    みんなの暮らし日記ONLINE編集長。サッカー好き小4男子の母。趣味はランニング。

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