ほめられるより大事なこと

 どんな人にも、やっぱりどこかに、ほめられたいという気持ちがあるものではないだろうか。だから、一度ほめられると同じ行動を繰り返してしまうし、ほめられないと続けたくなくなる。

 「夫や子どもが食べてくれないメニューや食材は、出すのをやめてしまう」という話もよく聞くが、そういうことなんだろうなと思う。家族の「いいね」が欲しいという気持ちは、それだけみんな強い。

 でも、暮らしの中で必要なことを考えたとき、家族に喜ばれ、ほめられる食事ばかり出していればいいのかと言えば、そんなことはない。それはたぶん、作っている自分自身が一番よくわかっているはずだ。

 家族の健康を思えば嫌いな野菜だって食べさせたいし、添加物など食の安全にも気を使いたいし、塩分や糖分も控えたい。日々のごはんだから経済的なことも考えなきゃならない。子どもの好き嫌いが多いからと言って、好物ばかり作っていたら、限りなくメニューは偏ってしまう。

 毎日ほめられないごはんを作っている人は、おいしいねと言われるごはんを作るよりも、ずっと大切なことをやっている。本当にほめられるべきは、そこなんだと思う。

 

ほめられないままに続けること

 ごはんを日々作る人たちにとって、本来の食事は、作りやすさを優先しながら、家族のお腹をそこそこ満たし、ある程度栄養がとれれば良いはずだ。

 野菜がいっぱい入った毎日の味噌汁が、家族に不評で…とこぼしていた人がいた。煮干しや、何なら顆粒だしやだしパックでとっただしに、じゃがいもやキャベツやたまねぎ、豆腐や、わかめ。

 疲れて仕事から帰って、それでもがんばって作っている味噌汁は、残念ながら食卓にのぼったとき「すごい!」「おいしい!」と大絶賛されることはないだろう。

 でも、野菜やあたたかい汁物をたっぷり食べさせたいという気持ちは、食べる人の意識の底にゆっくりと積もっていく。

 私も子どものころはそうだったけれど、そんなに毎日続けて食卓においしいものは並ばなかった。「あー、今日もひじきの煮ものか…」とちょっぴり失望しながら、それでも変わらず「いただきます」と箸を取り、黙々と食べて「ごちそうさま」と言う。

 その繰り返しの中に、安心できて、気取らず、食べ疲れない「うちのごはん」が自分の中に形づくられ、食の基盤になった。

 どんなに簡単な味噌汁だとしても、それを毎日作り続けることは、決して簡単なことではない。

 ごはんを作ってくれた母を、今となってはすごいなと思えるけれど、だからといって、毎日のように「おかあさんありがとう」「これおいしいね!」と言っていたかと言えば、そうではなかった。

 家庭の中に、自然にほめ合える環境ができているのは素晴らしいことだと思う。ただ、そうでないとしてもあまり気にしなくてもいいし、むしろ、なんの報酬もなしに毎日やっている自分を、ちゃんと自分でほめてあげてほしい。自分が家族を支えていることに、自信をもっていい。

 ほめられたい自分は認めながらも、ほめられないことを誇りに思う。そういうのが、いいのではないだろうか。

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